レーダーで捕捉できないUFO出現!司令部は追跡を指示!


 1951年9月10日、米国ニュージャージー州フォート・マンモス陸軍基地のレーダー訓練生が、低空での飛行物体を捕捉した。すぐに自動追尾に切り替えたが、今度は捕捉できなかった。訓練生は「レーダーで捕捉できません!非常に高速です!」と叫んだ。
 しばらくしてT−33ジェット練習機のパイロットが銀色に光る物体を目撃、追跡したが北方に飛び去ってしまった。午後になると司令部より緊迫した声で「北に飛んで行った物体を至急追跡し、高度等確認せよ!」との命令が下った。司令部はすでにUFOの存在を知っていたのだろうか。


真相

 この事件当時、プロジェクト・グラッジはすでに終了していたので、空軍はだだちにUFO調査機関を再開した。責任者はルッペルト大尉、名前は前と同じグラッジである。(区別する為ニューグラッジとする資料もある)
 調査の結果、最初のレーダーで捕捉できなかったのは訓練生の計器操作ミスである事が判り、その時飛んでいたのは航空機である事も確認された。T−33練習機が目撃したのは気球であり、司令部の将校はその正体を知っており高度を賭けの対象にしていたので「緊迫した命令」になったのだった。
 この事件のあとグラッジは調査様式、規則を統一し「機関」としての形を整え、名前を「ブルーブック」と変えたのである。なお、UFO(未確認飛行物体)という言葉はこの時、用語の1つとして定められた。今までは「空飛ぶ円盤」だったが、円盤型で無い物や部屋の中に入ってきた火の玉状の物もひっくるめて「円盤」ではまずいからとされた。もっとも公式に「UFO」という言葉が定められたのはこの時であるが、新聞雑誌等ではそれ以前から使われていたようだ。

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